2014年9月13日土曜日

「間違えました」

最近、気になっていることを書き留めておきます。
というのが「Weblog」ですね…

仕事をしているとき、TVを見ているとき、非常に気になるのが自らの意見を
表明する際に「あいまいさ」を残すことが多くなってきていませんか?
あとで困らないように「どうとでも解釈可能な」言い回し…
「直ちに影響はない」とか…

筆者はかなりストレートにものを言ってしまう所謂「子供っぽさ」が危うい
とよく言われますが、これはとても大事なことであると思っております。
エンジニアとして当時の判断が間違えていれば、これは間違えましたと
言わなければならないのですが、「これは当時誰それさん(偉い人)が
やったヤツだから…」と言いながら何とか「丸く収める」というレポートを
作ろうとして、つまらない数字を並べ立てて結局うやむやにしているのを
よく見かけます。

先日、あるシステムがどうもうまく行っていないらしいから、どうすれば
うまく行くのか考えろという宿題をもらったので、図面を引きずり出して
眺めていますと、30分で原因がわかりました。システム構成がおかしい
ことが原因でした。しかも容量が大きすぎて使い切れないシステムでした。
ある程度の裏付けを持ってレポートを作って報告しますと、全員無言の時間
がしばしあり、

「そういうことを求めているんじゃなくて、どうすれば経済的に動かせるのか
考えろと言ったんだ」

「使い切れない容量なんですから、どうしたって動かせませんよ。3台のうち
1台を動かすしかありませんよ」

「それを3台動かすように考えるのがお前らの仕事だ」

「100しかいらないところに300のものを設置して経済的に動かせなんて無理ですよ。
もともとあなたが仰るように動かす設計になっていませんし、これ以上検討したって
無理なものは無理です。時間の無駄です(あ、言っちゃった)」

「他物件のシステム構成も横並びにして、比較してみろ」

「横並びで比較する必要はありません。このシステム構成は間違えています(あ、
言っちゃった)。1台運転で運用してください」

「それじゃ残りの2台、どうするんだ。もったいないじゃないか」

「残りの2台は予備としてください」

「金がかかるだろう」

「最初に3台入れた方がお金がかかったでしょう。それなら廃止としてください」

「とにかく横並びで比較しろ」

「なぜ横並びにする必要があるのですか?」

「他もそうなってれば仕方がないってことに収められるだろう」

「いや、仕方がないっていう結論を出すためにこれやってるんですか?」


こんなことを延々と繰り返しているのです。きっと今年度も結論は出ません(笑)
結局の所、これは最初のシステム構成を誤った(実は分かっててやっていたことも
あとで判明することに)のが原因ですから、これにOKを出した方が「間違えました」
と言えば終わりなんです。誰でも間違えますから。ただプライドが許さないのか、
ご本人からは「間違えた」という言葉はありませんし、取り巻き達は肝心なところは
触れませんからね。

いや、やっぱり筆者が「子供っぽい」のでしょうね(笑)


2014年6月21日土曜日

負の連鎖

ここのところ思っていることを少々。

一つ目は、筆者が見に行っているところがよろしくないのか、どうも世の中、

「言いがかり」

が多くなっているように感じます。
まっとうに理屈の通った「批判」なら良いと思うのですが、特にネットというものは
ほとんど匿名のせいか(かくいう筆者も匿名ですが)
「言い捨て」、「言ったもん勝ち」、「揚げ足取り」…続く
がとても多くて最近ウンザリしてきています。

パソコン通信の頃はモデムを使って、従量料金に怯えながらネットを利用していたので
見てもらう方に適切に理解してもらうために、事前に十分考えて書き込んでいたように
思います。

現在あらゆる通信手段が定額になり、いわば使いたい放題になってから様相が
変わってきたように感じています。

また、誰もが自由に発信できるので様々な意見を聴くことができるようになったのは
大変素晴らしいことだと考えますが、よく言われているとおり相当選別して情報を
得ないと、とんでもないことをしでかしてしまうなと…

それから、格安な「モノ」に対して過剰な満足感を得ることが当然のこととなっている
のが怖いですね。
よく「安かろう悪かろうでは経営はできない」みたいなことを言う方がいらっしゃい
ますが、安いモノは安いんだと思いますがねぇ。筆者は経営者を敵視する訳では
ありませんが、こういう過剰なコストカットのしわ寄せって結局、現場の「ヒト」に
行くんですよね。
モノが安くなるとみんなそれに慣れてしまって、モノに充足感を求め始めて、徐々に
要求水準が高くなって、その期待に少しでも届かないとその要求が怒りに変わって行く。
この怒りに対して「安いので仕方がないんです」と言えない人達がいるから、もっと
良くしろと現場にせまる。これを繰り返していった結果がいろいろ報道されている
ところかなと感じる次第です。


支離滅裂となりましたが、本日はこれにて失礼させていただきます。


2014年5月18日日曜日

再び ー その3(完)

さて、筆者の「疼き」から「再び」への過程を書かせていただきます。

件の楽器選定にお付き合いし、無事購入のお手伝いをできたわけですが、
試奏に用意していただいた楽器は5本(!)でした。
それぞれ特徴があり、弾き易いもの、音が拡がるもの、遠くに音を届けるもの等など
本当に迷いました。ただ弾き手は筆者ではないことがポイントとなります。
実はよくある話ですが、選定の最後は2本の内どちらか…となるわけです。

ひとつは30年前、筆者の11弦ギターを作ってくださった製作家の意欲作。
もうひとつは中古ですがとても状態が良く、筆者の好きな演奏家の使用楽器です。

どちらも本当に素晴らしい楽器です。
透明感のある音色と深みと拡がりのある豊かな音色。
弾き易さとレスポンスの良さ。

購入したのはほんの少しだけボディが小さく、とても透明感のある音色で、
これから弾き続けるとさらに深みもでてくることが分かる楽器でした。


そして帰宅後から約2ヶ月にわたって悶々とした時を過ごすことになります。



その時最後に選から漏れた楽器がアタマから離れないのです。

試奏した時、脳ミソの中で何かが「じわっ」と出たのです。実際に脳内物質が
分泌されたと思います。
毎日仕事から帰るとWebを見て、「ハァ…」「良かったまだ買われていない」
自分の年齢を考えると本当にお恥ずかしい話ですが(笑)

それから何となくもう一度楽器に触れるようになりました。古いCDを取り出しては
聴き直し、古い楽譜を持ち出してさらってみたり…
もちろん以前のように指は動きませんし、楽譜に対する筆者のレスポンスも恐ろしく
低下しておりますが、なぜか「楽しい」のです。
この感覚は何とも形容しがたいのですが、とにかく「楽しい」のです。

「あれ?ちゃんと弾けてないけどこんなに楽しかったっけ?」



ある日、購入のお供をした方とコーヒーを飲みながら
「あの時の楽器さぁ、良かったよね〜」
「ふ〜ん」
「うん。なんて言うかさぁ…」
「いっそのこと買っちゃえば?」
「えっ!?でも、もうギター弾けないし…」
「弾けてるじゃん」
「いや…ぜんぜん弾けてないよ…」
「楽しそうじゃん」
「うん…楽しい…」
「決まりっ!楽器屋さん行こう!」
「今から?」


楽器店のオーナーさんに電話を入れ、すぐ行きたい旨をお伝えしました。
オーナーさんはたいそう驚いた様子でしたが、
「それではお店を開けておきますので、思う存分弾きに来てください」

今度は逆にお供をされて楽器店に行き、その日の内にお持ち帰りと
相成りました。


随分前に「金輪際、弾かない」と思ったギターですが、今では楽しく弾いてます。
また嫌になるかもしれませんけどね(笑)



2014年5月6日火曜日

再び ー その2

さて、しばらく間が空いてしまいましたがギターのお話しの続きです。

11弦ギターが終わりの始まりと申し上げました。
このギターは古楽器リュートを原型としています。調弦は普通のギターを3度高くして
あります。7弦からは一音ずつ下げて行きます。つまり7弦からは基本的に開放弦で
弾くことが多くなる楽器です。もちろん♭や♯が付けば、それに合わせて低音弦も
調弦します。

ギターという楽器で開放弦で弾くというのは左手が楽になる一方、音のコントロールが
できなくなります。コントロールとはビブラートを掛けることなどが挙げられますが、
この場合、最も困難なのが「消音」です。そう、撥弦するのではなく音を消す
テクニックが要求されるのです。この消音を文字で表現するのは難しいのですが、
左手は他の弦を押さえるのに忙しいので、右手で消します。右手の腹で消せれば楽なの
ですが、右手の腹で消すとフォームが崩れ、ただでさえ弦が多くてどこを弾いているのか
分からなくなるのに、さらに混乱を来します。
では、どこで消すか?
右手の親指で消します。つまり弾いた先から消して廻るのです。
これが筆者をギターから遠ざけた大きな原因の一つです。

前回もお話ししましたが、このギターはリュートの楽曲を弾くために開発された楽器
ですから、自ずとレパートリーはルネッサンス、バロックとなるわけですが…
ん?
バロックが好きだからこの楽器を始めたのですが…鶏と卵になってしまってますが…
とにかくJ.S.Bachを弾きたかったんです。楽器を弾かれる方はお分かりのことと存じ
ますが、Bachの曲というのは弾きづらいのです。難しいんです。
筆者のように才能もなければ、練習も嫌いな者にとっては弾けるわけがないのです。
でも、弾きたかった…それなりに練習しました。学業そっちのけで…

この楽器を始めて3年ほど経ってからは、大学での講義が忙しくなり、師匠の元を離れ
一人でひたすらBachと格闘する日々が続きました。
しかしこの状態になると音を楽しむのではなく、性格上、悲愴感が漂ってきます(笑)
大学の研究室に入ると連日の泊まり込み、練習、泊まり込み、寝る、泊まり込み…と
楽しみとは程遠い状況に陥ります。
様々なことに言えるのですが、筆者は性格的に楽しむのが下手なようです。かと言って
様々なことをちゃんとできるようになるわけでもない不器用さを持ち合わせています。

こうして、徐々に楽器と距離を置くようになり、社会人になってからはさらに時間が
取れなくなり、触れることもままならなくなっていきました。
それでもたまの休日には少し触れてみるのですが、今度はかつて弾けていた楽曲を
弾くことができなくなっていくわけです。


かれこれ20年以上まったくギターに触れることもなく過ごしてきたわけです。
その後、仕事を替えたりする中で、比較的時間にゆとりが出てきました。

ある時、「ギターを買いたい」という人に連れられて御茶ノ水のクラシックギター
専門店を訪れました。楽器店では予算に応じて、なんと5本の楽器を用意してくれて
いました。オーナーは「これから2時間、店は貸し切りになっていますので、
思う存分試奏してください」と…もちろん筆者は購入するつもりはなく伺ったわけ
ですが…
本当に2時間試奏させていただき(もちろん購入される方も弾いていますが)、
候補が2本に絞られました。ここまで絞り込みますとあとは好みの問題、購入される
方のお好みです。筆者はひとしきり弾かせていただいたので、バルコニーで一服。
その間、購入楽器は決定しました。無事お役目を果たし帰途についたのでした。

しかし、その晩から「再び」疼き始めたのです。


2014年3月23日日曜日

再び ー その1

一つのきっかけからまたギターを弾き始めました。
クラシックギターです。

中学一年生から近所の友達と弟がギターを習いたいと言い始め、
これに巻き込まれる形でいやいや始めました。
当時、音楽には全く興味はなく、ましてや自分で演奏するなんて
考えもしませんでした。

始めた頃は当然楽譜は読めませんし、第一学校の音楽の授業などは
つまらなくてつまらなくて(他の教科も同じですが…)、特に音楽の
教師とのソリが合わなくて(以前にも同じ台詞があったような…)
音楽の基本事項を全く知らないまま、半ば強制的に近所のギター教室に
通わされる羽目になったのです。

筆者が通っていたギター教室は、個人レッスンのみの、かなりプロ志向の
強い人達が集まっていたように記憶しています。その多くは大学生で
筆者にとってはもの凄く「おにいさん」な人達だったわけです。

高校生になると「合宿」への参加許可が下りるようになります。
夏休みを利用して遠出をし、一日10時間くらいひたすら練習し続けるという
それはもう過酷なものでした。
クラシックギターというのは右手の爪で弾くわけですが、爪が削れてくるほどの
練習を一週間ほど続けます(ちなみに爪は瞬間接着剤で固めていました)。

そうは言いながら、夜は食事をしながら当然のごとく飲むわけですが…
ここで「おにいさん」達から人生の処し方なども学んだのでしょう。


この頃は普通の6弦ギターを弾いていました。もちろん親に買ってもらった、三万円の
ギター(ケース付き)でした。

筆者の師匠は「バッハ弾き」でリサイタルではバッハのリュート組曲全曲演奏を
やったお方です。非常に厳格な演奏で、これが筆者の好みでした。
やがて師匠はバッハのリュート組曲をより原曲に近い形で弾くために11弦ギターを
導入しました。

この11弦ギターに筆者も惚れてしまったのが、ギターを弾かなくなるきっかけに
なりました。


ギターに惚れてギターを弾かなくなるというのは何事かと言いますと、長くなりますので
また今度お話しさせていただきます。

2014年2月12日水曜日

「物造り」というお仕事

ずいぶん前に
♪職業選択の自由〜はははん♪
なんてCMがありました。いつ頃のものだったかは定かではありませんが…

筆者はエンジニアを生業としておりますが、さまざまな業界のエンジニアの中でも
かなりの激務となる業界に身を置いております。「突貫工事」という言葉に代表される
ように、寝ず食わずの仕事が美徳とされる業界であります。

とはいっても筆者は設計職でしたので工事をするわけではありません。
建物を造る計画というのは非常に長いスパンのものでして、企画から着工まで5年なんて
ザラです。建て主というのは早く造って商売をしたいわけですから、往々にして様々な
段階で急ぎます。
その中で、工事自体は本当に「造る」のですから工期を縮めるといっても限度が
あります。そこで縮めることができるのは「設計」に要する期間なわけです。

さらにこの辺りがあまり知られていないことですが、「設計」というのは設計図を
作成して終わりではないのです。着工すると工事をする前に施工図というものを
作成します。これは「工事用の図面」です。この施工図が設計意図を理解して作成
されているかをチェックしたり、調整をしたりすることも設計の業務です。
そして施工図どおりに工事が進んでいるかをチェックするのも設計のお仕事です。

というわけで建て主の要望をくみ取って設計図を造り、建物ができて稼働するまで
設計さんは一つの建物に関わり続けます(もちろん転勤などで途中交代することも
ありますが)。
恐らく他の業界の設計さんも同じような関わり方をするのではないでしょうか。

建物というのは寿命が長い製品です。構造体などは60年から100年はもつと言われて
おります。ただし建物は「骨格」だけでできているわけではありません。「神経や血管」に相当する部分もあります。電気が点いたりエアコンが効いていたり、意識しなければ
気付かない部分がたくさんあります。「神経や血管」は「骨格」ほど長持ちはせず、
15年から20年くらいで寿命が来ますので、「改修工事」つまりリニューアルというのも
人知れず行われています。このリニューアルをするためにまた設計さんが活躍します。
先述のとおり建物は閉鎖してしまうと商売ができなくなりますので、「生かしたまま」
リニューアルをすることもあり、リニューアル計画をたてるのも設計さんの仕事です。
ここが大量生産品と異なるところかもしれません。

写真機でも50年以上前のモノが現役で活躍しているという話をよく耳にします。
当時の設計図を基に部品の供給が続けられれば、たとえ部品に寿命が来ても交換して
使い続けられるというわけです。
この時どういう「設計」をしていたかで、寿命が大きく左右されていると筆者は
考えます。
ただ、最近の写真機は電子部品の塊ですからなかなか壊れるところがないのも事実で
あると思います。しかし一方で電子部品が供給されなくなると直しようがなくなるのも
また事実であります。機械部品は工作機械などで作れますが、電子部品は製造ラインを
一旦外れるとなかなか代わりが利かなくなると言われております。


設計さんは設計時点で最高の性能を発揮させることはもちろんのこと、未来を見据えて
リニューアルがし易いように設計しておくことが美学であると思っております。

振り返って自分のしてきた仕事はどうか?と見直してみますと、
「誰だ、こんな設計をしたのは!」
と古い設計図を見ますと自分のハンコが押してあったりします(笑)

あまり目立たないところにちょっとした美学を求めるのが設計さんの楽しさでもあり、
苦しさでもあります。もちろん造る方々も気付かれないようなところに自分の思う所を
残してくださっているのが見て取れることがあります。

楽しい仕事ですよ。物造りって。

今回はこの辺で失礼します。



2014年1月29日水曜日

接着剤と似て非なるモノ

今日は写真機のマウントアダプタなるものの独り言です。
マウントアダプタとは異種の樹木を接ぎ木する際に必要な接着剤のようなものです。

先日かねてから手に入れたかった、あるメーカのボディに他社メーカのレンズを
着けるための「マウントアダプタ」を発注しました。今までにもマウントアダプタは
いくつか購入しては手放し、しばらくするとまた熱が出て購入し、すぐに熱が冷めるを
繰り返してきました。簡単に言えば筆者が飽きっぽいということになります。

ここからは筆者の独断と偏見と推測と屁理屈です。

フィルムの写真機を使用していた頃は、所謂レンズ専業メーカが有名写真機メーカの
ボディに安価なレンズを供給し、これを着けさせんがために存在したように記憶して
おります。ちなみに写真機のボディとレンズの結合部分は「マウント」と呼ばれて
います。
この専業メーカレンズは数多くの写真機メーカに対応すればするほど商売がし易く
なるわけですが、各写真機メーカ毎にマウントは異なります。レンズの生産を考えた
場合、生産ラインはシンプルな方が良いわけで、何本売れるか分からないレンズの
ために複数のラインを用意すると安価なレンズは作れなくなります。
そこで、考えられたのがマウントアダプタではなかったかと思うわけです。
かく言う筆者も安価なレンズとマウントアダプタを持っておりました(まだ筆者が
学生でフィルムカメラしかなかった時代のことです)。このレンズを購入した動機は
お金がなかったからに他ならないわけですが、便利なズームレンズを手に入れること
ができましたので嬉々とした記憶があります。

この辺りを書き続けますと筆者の知識ではとても足りませんので、他の方に筆を
譲ります。


とにもかくにも「マウントアダプタ」というのは写真機好きにとっては剥がせば
元に戻る「魔法の接着剤」なのです。


さて、話を元に戻します。

筆者が長年使ってきた写真機およびレンズのメーカは生産を中止してしまいました。
その後の修理なども2015年を持って終了となります。特に玄人好みと言うわけでは
ないのですが、デジタル時代に対応できなかったメーカと言えるかもしれません。
しかし今でもフィルム写真機をデジタル写真機にしてくれる、筆者にとってはまさに
女神のようなメーカがあるのです。ただしこのメーカはフィルムに相当する部分のみ
を作っているだけで、ご本尊である写真機及びレンズは修理をしてくれることは
ありません。これに備えて写真機本体とレンズを複数揃えることで延命を図っている
のが筆者の現状でした(もちろんsecond-handですが)。そしてこれらさえも潰えた時に
備えて、別のメーカの写真機とレンズを一揃えしておりました。

写真機システムの中で最も壊れやすいのは写真機本体です。恐らくレンズの方が
寿命は長いと考えます(理由は駆動速度が低いからです)。

このsecond-handのレンズが一揃えした件の写真機に装着できれば、こんな嬉しいことは
ないのですが、両者は創業当時からライバルとして永く君臨してきたメーカ同士でした
ので、これは「あり得ない」ことです。友人とは「これにこれが着けられればなぁ」
などと冗談で話していたのです。

ある日人気のSNSに戯れ言をと思って覗いてみますと、生産中止をしたブランド名が
目にとまりました。

「ん?」
「まさか…ぃや、これは所謂ツリというヤツだな(苦笑)しかも英語だし…」

しかし、ここでいつもの悪い癖が出ます。思わず青字で書かれた文字をクリック…
ブラウザ上部の青い線が徐々に左から右へ伸びて行きます。

「えっ、うわっ、なにこれっ、うそっ、やだぁ(つづく)

ホンモノでした。現行メーカがかつてのライバルメーカのレンズを装着できるマウント
アダプタを発売を発表したのです。しかもオートフォーカスまで利くではありませんか。
早速これを売っているお店をグーグル先生にお尋ねします。有りましたよ。懇意にして
戴いているお店に。

半年に及ぶ長考の末、先日ついに発注と至ったわけです。

これだけ夢見たモノになぜ長考を要したかはご想像のとおりです。
接着剤にしては如何なものかと…

明日、到着予定です。



注)記事は家庭内でのプレゼンテーションの抜粋ですが、
  安易に使用すると接着剤が剥がれる可能性があります。


2014年1月25日土曜日

恩師の誕生日

1月7日は恩師の誕生日です。
この近辺の休日に恩師を囲んでの誕生日会が毎年一回ですが続いています。

恩師とは大学の研究室にいた3年間お世話になった教授です。

筆者は制御工学を専攻したくて、この教授の研究室に配属を希望しました。
当時この研究室は人気があり、多くの学生が配属を希望しており狭き門でした。

「狭き門」という言葉の意味するところは当然試験が難しいとか、ここまでの
成績が良くないといけないとか、このようなことを思い浮かべると思います。
ところが筆者のいた機械工学科というのは、配属される研究室を決めるの際に
昨今話題の「じゃんけん大会」を行っていたのです。これは本当の話です。
当時の大学生にとって、最後の1年間は卒業論文を書くために研究をするわけ
ですが、この大切な運命を決めることに使われる手段がじゃんけんだったのです。

大教室に学科の学生が集められ、まず希望する研究室の書かれた紙の所に集まり
ます。ここであえて人数の少ないところへ行く者もいれば、何としても希望の
研究室に入るという意気込みでその場に残る者、様々です。
当然、定員内のところと定員オーバーの研究室がでてきます。集まった人数が
定員内であればその研究室に配属決定です。私が配属を希望した研究室は大人気で
定員の2倍以上は集まったように記憶しています。
さて、ここからが修羅場です。集まった学生が隣合った者同士、いきなりじゃんけん
です。仲間と同じ研究室に行きたいと考えていた者同士が、突然敵になるのです。

まさにバトルロワイヤル。

大教室のあちこちでじゃんけんのかけ声と共に悲痛な叫びや狂喜の叫びが…

「あー」「ぎゃー」「よっしゃー」「うぉりゃー」

この時、阿鼻叫喚という言葉の意味が理解できました。


話を元に戻します。
このように難関をくぐり抜けた兵達が1年間から博士号を取る者では6年間、研究室
に住まうわけです。筆者は結局3年間、この教授の指導のもと遊んでおりました。
3年間も研究室にいますと1年目は大学院生がいますし、その後は次々と学生が入って
来ますから結構な人数の入れ替わりもあり、同期は3年間一緒ですし非常に濃い生活
でした。一応1年間で卒業論文を書き上げることができ、そのまま研究室に残りました。

研究室におりますと時折教授から電話がかかってきます。そう、途中経過の報告です。
ここでこっぴどく絞られるので、学生は皆、この電話をたいそう恐れているわけです。

「おう、visか?、ちょっと部屋まで来い」

やっべぇ〜全然研究進んでないよ、どうしよ〜
とりあえず実験データを持って、別館の教授室へ急ぎます。
恐る恐るノックをして

「visです」
「おう」
「失礼しま〜す(半泣き)」
「ま、座れ」
「ハイ(滝汗)」
「どうだ?」
「ハイ、苦戦しています(鼻水)」
「そうか…ところでvis、珈琲飲むか?」
「はぁ」

なんと教授が自ら直火式のマキネッタをコンロに掛けているのです。
「ちょっと待ってろよ〜。いま淹れてるからな」
戸棚から取り出したデミタスカップを2つ、テーブルの上に並べて

「エスプレッソが飲みたくなってな〜。一人じゃなんだからおまえを呼んだんだ」

マキネッタから出来たてのエスプレッソをデミタスカップに注いで
「どうだ、まぁいけ」
「いただきま〜す(嬉)」
「いい香りだな」
「ハイ」
砂糖を多めに入れてスプーンで少しだけかき混ぜて、ちびり。
「旨いっス」
「旨いな」

こうして時々エスプレッソを淹れてもらいながら、無事論文を書き上げ、卒業と
なりました。


その後、退官されてからも、研究室で一緒だった仲間達と恩師を囲んでの誕生日会が
かれこれ20年ほど続いています。

とても楽しい一日でした。


2014年1月18日土曜日

散歩 明治神宮前〜赤坂見附(2)

さて、散歩の続きです。

聖徳絵画館の写真をもう少し。
天井などが美しいと前回書きましたが、扉も大変重厚なモノで何とか
写真にしようと思ったのですが、毎度の事ながらあまりうまく撮れませんでした。




扉自体の厚さは100mm
は下らないでしょう。
最近のガラスを使った建物とは
趣が異なります。











展示されている絵画は前述のとおり写真が撮れませんのでお見せできませんが、
芸術的価値よりも歴史的価値に重きが置かれているという印象を受けました。
入館してしばらくして気付いたのですが、絵画のサイズがすべて統一されて
いるのです。これは最初から「展示」を目的に依頼されて描かれたものである
ことが解ります。






















一通り鑑賞して絵画館を後にするわけですが、土曜日の午後にもかかわらず
入館者は自分を含めて6人でした。建物の中心を構成するホール部分にカフェ
でもあれば大繁盛すると思うのですが、法人の関係上難しいのでしょう。


ここまで書いてお昼になったのでちょっと食事に行ってきます。
お気に入りのレストランに予約を入れてあるもので。
しばし失礼します。

ただ今昼食から戻りました。
とても美味しいランチでした。
豚ヒレのロースト マデラ酒のソースが素晴らしい。
それでは話を元に戻します。



絵画館を出て、国立競技場、神宮球場の脇を通って銀杏並木を抜けて国道246号に
戻りました。時間は16:00ぐらいですが、青空の中に月が見えます。交差点に出る
手前にカフェがあったので、ここで暖を取るため店内でカプチーノをいただきました。
煙をくゆらそうとオープンテラスに出ると、店員さんがさりげなく灰皿をテーブルに
置いて、ガスヒータをつけてくれました。



















カフェを出ると目に飛び込んできたのはロールスロイス。やはり風格があります。
金属の美しさが印象的でレリーズボタンを押しました。望遠レンズを使うには
シャッタースピードはかなり遅くなりましたが、明るいレンズと手振れ補正の
おかげで撮れました。

国道246号に戻り赤坂方面に向かいます。とぼとぼ歩いていると左手に東宮御所が
見えてきます。ふと目を右にやるとまた印象的なものが。


















マクラーレンでした。MP4というマシンだそうです。ショールーム内の店員さんに
合図をすると撮影OKとのことで、件の望遠レンズでまた一枚。

ちなみに筆者は自動車の運転免許は持ち合わせておりません。そう、運転する資格が
ありません。こういうマシンを見ると「どこかに免許は売ってないかしらん」と
思うわけですが、こちらのマシン、とても手が出る代物ではないことが帰宅後の調査にて
判明しました(予想はしていましたが…)。
ハイウェイスターを後にさらに歩いて行きますと、カナダ大使館、高橋是清翁記念公園
と続きます。公園はもう暗かったのでさらっと一周して国道に戻り、見上げると今度は
ガラス張りの建物が目に入ります。華道の草月会館ですね(たぶん…)。

ここまで書いて写真のフォルダを覗きますと、あら、間違えてました。マクラーレンの
ショールームは草月会館より赤坂寄りでした。ごめんなさい。

このまま道なりに歩いて行きますと、東京メトロ赤坂見附駅に到着しました。
この日の散歩距離はGoogle先生に伺ったところ、約10kmでした。



晴れた冬の日の散歩、明治神宮前〜赤坂見附でした。



2014年1月11日土曜日

散歩 明治神宮前〜赤坂見附

文章を書くというのは大変難しいものです。
ここは取扱説明書のように書いていこうと考えておったのですが、
ひとつ大変なことを見落としておりました。

それは、人様に説明する「機能」が筆者にもう無いということです。

わずか2回の投稿でもう書くことが無くなってしまいました。
ブログの先輩には「軌道に乗るまでが大変」と聞いておりましたが、
軌道に乗るどころか、いきなりスタート直後のエンジントラブル、
リタイアです。

     書くことがないなら止めりゃーいいじゃん

仰るとおりです。ただ先にも書きましたとおり、人様の云うことに
ミミを貸さないという性質上、結局何かしらダラダラ書き続けることに
なるわけです。



ということで、続けます。

ありきたりですが、散歩です。
実は今日思いついたのですが、都心を歩きまくることを書き記したら
どうかなと。
2週間に一度くらいは更新できるかもしれないし、ブログを書くために
散歩すれば、健康増進にもつながるし、さらにたくさん写真を撮れば、
ひょっとしたらウデが上がるかもしれないし、さらにカタの痛みも
取れるかもしれないし…無限ループ。



ということで、本日の散歩。

まずは明治神宮駅からすぐそばのナショナル・フォート(NP)さんに
Capture One ProというRAW現像ソフトのアップグレード料金の支払いと
顔なじみのTさんにご挨拶をしてきました。
お支払いを済ませると、スウェーデンの高級カメラのロゴが入った紙袋に
いつものNPさん謹製のノートやら手が出ない写真機のカタログなどを
入れてくださいました。

すると時刻は午前11:30。お腹が空きましたので以前から食べたかった
シュニッツェルのお店へ。食後はメランジュで〆。これは表参道。

お腹もいっぱいになったところで外苑前を目指します。
有名な銀杏並木を通り抜けて、聖徳記念絵画館へ。



国立競技場でなにかやっていたらしく絵画館前は学生用にチャーターされたバスだらけ。建物が重要文化財なんだからもう少し考えて欲しい。













展示室はニッポンでは当然のことながら撮影禁止ですが、エントランスは
撮影OKと係の方に伺ったので、天井の写真。





かなり歪曲収差が目立ちます。













大変美しい天井です。いえ天井だけでなく壁、床、柱、すべてが見事です。

入館料(明治神宮が運営しているから施設維持費と書いていた)は500円…
入館者は数えたところ全部で6人…って…。




ここまで書いて疲れましたので、続きは後日。








2014年1月8日水曜日

各部の名称と機能

タイトルのとおり、筆者を構成している部品の名称と機能を列挙してみましょう。


  • アタマ:メモリ容量は非常に小さい。興味のないことはすぐに忘れます。そのくせ過去の失敗に対する恐怖だけが蓄積されているようです。ところがよく同じ失敗を繰り返しますので外部メモリが必須です。叩くと非常に軽い音がします。

  • メダマ:近視、乱視、老眼のミックスです。メガネが無いと階段は降りられません。月を見上げるとたくさん見えます。遠近両用レンズ(グラデーションタイプなのでかなり高かった)を使用していますが、もう度は合っておらず近くを見る時はメガネを外します。フレームはPorsche Designです。



  • ミ ミ:外観はいわゆる「猿ミミ」です。一見よく聞こえそうですが、人の話はほとんど聞いていません。聴力自体もあまり高くないようです。耳たぶの中に起伏がないので、Boseのイヤホンなどに付属しているシリコンが引っ掛かりません。最近はJabraのBluetoothヘッドホンを使用しています。



  • ク チ:大変悪いです。思っていることが直接出て行くようです。クチビルが薄く、いかにもくだらないことを話しそうです。歯並びも悪く友人の歯医者から煙たがられています。美味しいモノは大好きですが、味覚が体調に大きく左右されるので、当てになりません。



  • ハ ナ:鼻中隔湾曲症でした。最近手術をしましてスッキリしました。感度は人並み以下です。加えていわゆる「ハナが利く」こともありません。



  • ノ ド:歌は唄えません。



  • カ タ:痛いです。しかも両肩です。いわゆる「40肩、50肩」というやつです。これのおかげで写真機の構え方を変えました。



  • ユ ビ:ギターを弾いていたので左右の指の長さがちょっと違います。右手は腱鞘炎です。名残で右手の爪が伸びています。



  • ム ネ:薄いです。飛び込んでいただく余地はありません。飛び込んだ場合、恐らく骨折は免れないでしょう。



  • オナカ:すぐに空きます。もともと朝ご飯を食べない人でした。仕事が忙しくてお昼ご飯も食べられず、大体夜の0:00くらいから晩ご飯を食べる生活を20年くらい続けていましたら、壊れました。最近は三食キッチリと食べるようになりましたが、胃酸過多、逆流性胃腸炎と診断されています。イチモツはありません。



  • オシリ:垂れています。



  • ア シ:短いです。遅いです。逃げ足も然り。




これと云った特徴はありませんが、筆者の各部名称と機能の一覧でした。

2014年1月5日日曜日

お使いになる前に

2014年、ふとしたことからブログなるものを始めてみようと思い立ちました。

極めて凡人なわけで、取り立てて書けることなぞあるわけでも無いのですが、なんとなくやってみようかなと…。

内容は恐らく極端な嗜好(思考)になるものと思われますが、備忘録程度。
文章は「取扱説明書」の様な無味乾燥としたものになるでしょう。

自分の嗜好はタイトルのとおり。Brazil(french roast)、Seven Stars、Zeiss、これに加えて音楽(これもかなり偏向している)ぐらいでしょうか。あとは毒吐きも時々。

目標を定めて活動するのがあまり得意ではない気分屋なので、エキセントリックな
ものになることは明白ですが、少しずつ書き足して行くことになるでしょう。



これは近所のお宮さんで撮影した人様のwish(撮影は昨年)。自分のwishは特に無いので…もちろん欲しい物はある。

ちなみにこの写真はZeissではないわけですが…

こんなレイアウトを見ているとまたつくづく下手だなと思うわけです。




 この休みに地元に帰って、家の中をゴソゴソしていたら中学、高校、大学の成績表が出てきました。もともと過去のことを記憶できない質の人なのですっかり忘れていたのですが、このような物を見ると、僅かながらも現在の自分の気質を構成している要素の分布傾向が見て取れます。非常に好き嫌いが激しいことは自覚していましたが、好きだから一生懸命やるわけではないのです。好きな物は適当に流している−つまり10段階で8ぐらいなんですね。

一方、嫌いな物(人、この場合は特に教師)は明らかに乱高下しています。

これを少し判りやすく云いますと、思考のパターンは

 こいつ嫌い→授業を聞かない→成績が悪い→教師からバカにされる→アタマに来る→文句を言わせないようにしてやる→(試験前だけ勉強する)→10段階で10をとる→ざまあみろ→もう飽きた→再び下降する

となります。

データからこれを繰り返しているのが顕著に見て取れます。この繰り返しパターンは短期間で発現するものと、もっと長いスパンで発現するものがあるのが自覚できます。

 このように行動のベースにあるのが「嫌い」なんですね。「好きな物(事)は何ですか」と聞かれると言葉に詰まりますが、「嫌いな物(事)は何ですか」と聞かれれば、多分即答できるでしょう。



2014年の最初の雑感。