2014年1月25日土曜日

恩師の誕生日

1月7日は恩師の誕生日です。
この近辺の休日に恩師を囲んでの誕生日会が毎年一回ですが続いています。

恩師とは大学の研究室にいた3年間お世話になった教授です。

筆者は制御工学を専攻したくて、この教授の研究室に配属を希望しました。
当時この研究室は人気があり、多くの学生が配属を希望しており狭き門でした。

「狭き門」という言葉の意味するところは当然試験が難しいとか、ここまでの
成績が良くないといけないとか、このようなことを思い浮かべると思います。
ところが筆者のいた機械工学科というのは、配属される研究室を決めるの際に
昨今話題の「じゃんけん大会」を行っていたのです。これは本当の話です。
当時の大学生にとって、最後の1年間は卒業論文を書くために研究をするわけ
ですが、この大切な運命を決めることに使われる手段がじゃんけんだったのです。

大教室に学科の学生が集められ、まず希望する研究室の書かれた紙の所に集まり
ます。ここであえて人数の少ないところへ行く者もいれば、何としても希望の
研究室に入るという意気込みでその場に残る者、様々です。
当然、定員内のところと定員オーバーの研究室がでてきます。集まった人数が
定員内であればその研究室に配属決定です。私が配属を希望した研究室は大人気で
定員の2倍以上は集まったように記憶しています。
さて、ここからが修羅場です。集まった学生が隣合った者同士、いきなりじゃんけん
です。仲間と同じ研究室に行きたいと考えていた者同士が、突然敵になるのです。

まさにバトルロワイヤル。

大教室のあちこちでじゃんけんのかけ声と共に悲痛な叫びや狂喜の叫びが…

「あー」「ぎゃー」「よっしゃー」「うぉりゃー」

この時、阿鼻叫喚という言葉の意味が理解できました。


話を元に戻します。
このように難関をくぐり抜けた兵達が1年間から博士号を取る者では6年間、研究室
に住まうわけです。筆者は結局3年間、この教授の指導のもと遊んでおりました。
3年間も研究室にいますと1年目は大学院生がいますし、その後は次々と学生が入って
来ますから結構な人数の入れ替わりもあり、同期は3年間一緒ですし非常に濃い生活
でした。一応1年間で卒業論文を書き上げることができ、そのまま研究室に残りました。

研究室におりますと時折教授から電話がかかってきます。そう、途中経過の報告です。
ここでこっぴどく絞られるので、学生は皆、この電話をたいそう恐れているわけです。

「おう、visか?、ちょっと部屋まで来い」

やっべぇ〜全然研究進んでないよ、どうしよ〜
とりあえず実験データを持って、別館の教授室へ急ぎます。
恐る恐るノックをして

「visです」
「おう」
「失礼しま〜す(半泣き)」
「ま、座れ」
「ハイ(滝汗)」
「どうだ?」
「ハイ、苦戦しています(鼻水)」
「そうか…ところでvis、珈琲飲むか?」
「はぁ」

なんと教授が自ら直火式のマキネッタをコンロに掛けているのです。
「ちょっと待ってろよ〜。いま淹れてるからな」
戸棚から取り出したデミタスカップを2つ、テーブルの上に並べて

「エスプレッソが飲みたくなってな〜。一人じゃなんだからおまえを呼んだんだ」

マキネッタから出来たてのエスプレッソをデミタスカップに注いで
「どうだ、まぁいけ」
「いただきま〜す(嬉)」
「いい香りだな」
「ハイ」
砂糖を多めに入れてスプーンで少しだけかき混ぜて、ちびり。
「旨いっス」
「旨いな」

こうして時々エスプレッソを淹れてもらいながら、無事論文を書き上げ、卒業と
なりました。


その後、退官されてからも、研究室で一緒だった仲間達と恩師を囲んでの誕生日会が
かれこれ20年ほど続いています。

とても楽しい一日でした。


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