めずらしく、あまり間隔を空けず書きます。
お題にある写真機です。
写真機に本格的(?)に触れるようになったのは、もうかれこれ20年以上前のこと
です。学生の頃ですね。
ただ、ギターと同様に社会人となってからは、触れることが出来る時間はかなり
制限されていました。数年に一度取れる休暇を利用して旅行に携行するぐらいでした。
この頃はもちろんフィルムでの撮影です。フィルムについてはカラーはポジ、あと
モノクロネガの両方を使用していました。ただ、一台の写真機ではどちらかの
フィルムを使い切るまでフィルム交換はできません(普通の一眼レフでしたから)。
訪れた街でのスナップが中心でしたので、目についたものをパチリとやるわけで、
この目についたもののイメージがカラーで撮りたいのか、モノクロで撮りたいのか
ぐらいは筆者にもあるわけです。このような自分のニーズを満たすにはどうしても
写真機(ボディ)二台が必要となってきます。
これに加えて、交換レンズがこれまた好みがありますので、広角から中望遠まで
おそらく5本くらいを持って歩き回っていたと記憶しています。
この時期は体力もありましたし、この程度の負荷であれば問題なく撮影ができて
いました。
その後、やはり仕事の関係で(勤め人の言い訳)なかなか写真を撮る機会に恵まれず、
あまり触れることは無かったように思います。
仕事先を変えて、少し時間に余裕が出てきた頃にはデジタル一眼レフが一般的に
なっていました。
するとお約束の「疼き」が始まります。
以前から憧れだった「中判」に興味が向き始めます。なんとかこれをデジタルで
使えないかと…
中判写真機用のデジタルバックというのは存在していたものの、職業写真家でも
ないのに、このようなものを手にするのは不届き千万と思ってはいましたが、
年齢の関係でしょうか、「始めないと始まらない」と都合の良い論理展開により
自らを納得させることに成功し、結局手にすることとなりました。
その後、撮影機会があれば必ずといっていいほどこの中判写真機を持って
歩き回っておりました。
筆者もご多分に漏れず、「ガタ」が来ております。視力、体力、気力、能力などなど。
その中でも今回書くきっかけとなった最大の「痛み」、それは肩です。
四十肩などとよく耳にしますが、筆者もその類であろうとタカをくくっており、
数年間放置しておりました。ところが徐々に痛みが増し始め、いよいよ水平以上に
腕を上げられなくなっておりました。
こうなってきますと重量のある中判写真機は、まず持ち出すことはできなくなり、
持ち上げることもできませんので、鉄アレイの代わりにもならないという状況が
続いております。
「もう、この写真機では撮れない」
いよいよ本日お別れです。
(妙にあっさりしていますが、これは筆力のなさ故、ご容赦を)
「痛み」ますね。
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