2016年2月7日日曜日

痛み

めずらしく、あまり間隔を空けず書きます。

お題にある写真機です。
写真機に本格的(?)に触れるようになったのは、もうかれこれ20年以上前のこと
です。学生の頃ですね。
ただ、ギターと同様に社会人となってからは、触れることが出来る時間はかなり
制限されていました。数年に一度取れる休暇を利用して旅行に携行するぐらいでした。

この頃はもちろんフィルムでの撮影です。フィルムについてはカラーはポジ、あと
モノクロネガの両方を使用していました。ただ、一台の写真機ではどちらかの
フィルムを使い切るまでフィルム交換はできません(普通の一眼レフでしたから)。
訪れた街でのスナップが中心でしたので、目についたものをパチリとやるわけで、
この目についたもののイメージがカラーで撮りたいのか、モノクロで撮りたいのか
ぐらいは筆者にもあるわけです。このような自分のニーズを満たすにはどうしても
写真機(ボディ)二台が必要となってきます。
これに加えて、交換レンズがこれまた好みがありますので、広角から中望遠まで
おそらく5本くらいを持って歩き回っていたと記憶しています。
この時期は体力もありましたし、この程度の負荷であれば問題なく撮影ができて
いました。

その後、やはり仕事の関係で(勤め人の言い訳)なかなか写真を撮る機会に恵まれず、
あまり触れることは無かったように思います。

仕事先を変えて、少し時間に余裕が出てきた頃にはデジタル一眼レフが一般的に
なっていました。

するとお約束の「疼き」が始まります。
以前から憧れだった「中判」に興味が向き始めます。なんとかこれをデジタルで
使えないかと…
中判写真機用のデジタルバックというのは存在していたものの、職業写真家でも
ないのに、このようなものを手にするのは不届き千万と思ってはいましたが、
年齢の関係でしょうか、「始めないと始まらない」と都合の良い論理展開により
自らを納得させることに成功し、結局手にすることとなりました。

その後、撮影機会があれば必ずといっていいほどこの中判写真機を持って
歩き回っておりました。


筆者もご多分に漏れず、「ガタ」が来ております。視力、体力、気力、能力などなど。
その中でも今回書くきっかけとなった最大の「痛み」、それは肩です。
四十肩などとよく耳にしますが、筆者もその類であろうとタカをくくっており、
数年間放置しておりました。ところが徐々に痛みが増し始め、いよいよ水平以上に
腕を上げられなくなっておりました。
こうなってきますと重量のある中判写真機は、まず持ち出すことはできなくなり、
持ち上げることもできませんので、鉄アレイの代わりにもならないという状況が
続いております。

「もう、この写真機では撮れない」

いよいよ本日お別れです。
(妙にあっさりしていますが、これは筆力のなさ故、ご容赦を)


「痛み」ますね。

2016年2月4日木曜日

はやりやまい

やっと書く時間がとれました。

書きたいことがたくさん溜まってはいたのですが、忙殺されており(勤め人の言い訳)
メモも取れず全部忘れてしまいました。
今日こうやって書ける時間がとれたのは「はやりやまい」に罹ったおかげなので
あります。節々に痛みがあり、いわゆる風邪でしょうか。


何から書き始めたらよいのか、あまり整理ができていないまま書いてみます。

筆者が現在勤めている部署は世に言う「新規事業」というものに「チャレンジ」している
ところ「だそう」です。筆者がここに来てからまだ1年足らずですが、ここの幹部から
「力を貸して欲しい」と言われたので、「じゃ、お手伝いさせていただきます」みたいな
感じで来てしまいました。

勤め先を転々としている筆者は「働きやすさ」をもっとも重視します。これは別に労働
時間の長短や業務内容を云々しているわけではありません(あ、もちろん早く帰りたい
です)。
「議論をし、結論を出せる」のが筆者にとっては「働きやすさ」なのです。
筆者はいわゆる「専門職」なので、小難しいことは理解の外ですが、職歴はそれなりに
長いので「リスク」に関しては少しばかりハナが利きます。

少々話が逸れましたので、軌道修正をします。

「新規事業」と先ほど書きましたが、実は筆者が囓ってきたことのほんの一部分を
切り取っているだけです。ただ、この勤め先にとっては「新規事業」なのです。
従って、この事業を進めるには、この勤め先にもともといた方だけでは難しく、
外部から人を連れてくる必要があるわけで、おかげで筆者が職を得られたという
ことになります。
新しい事業ですから、スタートしてみれば様々な困難があるわけで、これを克服して
仕事として成立したとき、いわゆる「成功体験」を味わえるわけです。筆者や外部から
来られた方「以外」の方にとってみれば、まさしく「成功体験」なのです。

この「成功体験」は「新規事業」を牽引している方にとっては大きな自信になりますし、
いわゆる「勝ちパターン」として焼き付きます。

この「勝ちパターン」が崩れていく様と「新たな勝ちパターン」に嵌っていく様が
外部から来た者達からすると、とても「面白かった」のです。

筆者がここでお世話になり始めた時、最初の「勝ちパターン」が出来ていたと記憶して
います。気心の知れた方には「このやり方、マズイよ」と話しておりましたが、
他の方々は意気揚々とされておりました。
それはそうですよね、「成功体験」があるのですから。

筆者はこの時点では、「ご存じの方がいらっしゃらなかったのですから仕方が
ありませんけど、法律だけは守りましょう」とだけ意見しました。
ただ、どなたからも全く反応はなく、まさに「酔いしれている」とはこういうことかと
思ったものです。少なくとも自分は片棒を担がないようにすべしとしました。
注)ここでの「やり方」は法律には触れていません

ところが、ある日を境にこの最初の「勝ちパターン」が崩れました。とにかく見事に
「全滅」したのです。
翌日、幹部から「非常事態宣言」(笑)なるものが発令され、「どうすればこの危機を
乗り切れるか」を議論し始めたようです。

筆者もその会議に巻き込まれたわけですが、

「そりゃ、そのやり方『だけ』でやってたら、『はやりやまい』が来たら全滅するのは
当たり前です。きちんと敗因分析をして、『はやりやまい』があっても耐えられる
多様性が必要では?」

と、少々偉そうなことを発言してみました。その場では何の反応もなく、会議は
終了しました。その後、さしたる議論も敗因分析もされぬまま、
新たな「勝ちパターン」といわれるものが発表されました。ただし、その時点では
一度も勝っていませんけれども(驚)

筆者としては従前の最初の「勝ちパターン」という縛りがなくなったので、筆者なりの
やり方で仕事として成立をさせて、少しではあるものの実績を上げておりました。
「あなたは、そのやり方でなぜ仕事を成立させられるのか」とよく尋ねられましたが、
「相手の考えていることを、様々な制約をかいくぐれるようにしてあげているだけ」と
応えていました。
すると、「あなたのやり方は、新しい『勝ちパターン』に合っていない。そのやり方は非効率だ」と詰め寄られました。

今後は新しい『勝ちパターン』で『効率的』に仕事を成立させることができるのでしょう。きっと。


「はやりやまい」がありませんように。